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第5話 指輪③

Author: 雫石しま
last update Last Updated: 2025-09-19 20:55:19

 叶家の座敷机には白いレースのハンカチに包まれた深紅の指輪があった。そこには泣き腫らした目の睡蓮、気不味い顔の木蓮、困惑した蓮二と美咲の姿があった。

「.............睡蓮、雅樹くんから」

「あなた」

「黙っていてもいつか分かる事だ」

「そうですけれど」

 その雰囲気からなにかを察した睡蓮の頬に涙が伝った。

「睡蓮、今回の縁談は一旦白紙にして欲しいと話があった」

「白紙にってどう言う事よ!」

 睡蓮の心情を代弁するかの様に木蓮が父親に詰め寄った。

「お、おまえが原因だ」

「はぁー!?私が原因ってどういう事よ!」

「これだ」

 ハンカチを捲ると深紅のガラスの指輪が光を弾いていた。

「..............このおもちゃの指輪がどうしたのよ」

「雅樹くんが、おまえと付き合いたいと言って来た」

「はぁ!?睡蓮があいつの婚約者でしょう!?」

「あいつ、あいつと呼び合う仲なのか」

「まさか!鳥肌が立つわ!」

 睡蓮が木蓮のシャツを掴んだ。

「良いの、婚約者だなんて結納も済ませていないし」

「...........だって!」

「雅樹さんの気持ちを聞いた事は無いわ」

「そうかもしれないけれど、睡蓮はあいつと結婚したいんでしょ!」

「..........したいわ」

「なら!」

 その視線は深紅のヴェネチアンガラスの指輪へと注がれた。

「お見合いの後、雅樹さんはイタリアに出張に行ったわ」

「そうね」

「その間に私が雅樹さんとお付き合いする事になったわ」

「そうね」

「雅樹さんはその事を知らなかったと思うの」

「えええ、まさか」

「その証拠がこれよ」

 蓮二が指輪を電灯の明かりに透かすと文字が浮かび上がった。

for mokuren  masaki

「ただの土産物だろう」

「でもあなた、名前が彫られているわ」

「すっ、睡蓮への土産はあんな立派なネックレスだったじゃないか」

「お金で買えない物もあるわ」

「...............」

「雅樹さんが好きなのは木蓮よ」

 木蓮はその指輪を取り上げるとポケットに入れた。

「睡蓮が自分からなにかを欲しいなんて言うのは生まれて初めてじゃない!」

「雅樹さんは物じゃないわ」

「でも欲しいんでしょ!結婚したいんでしょ!」

 睡蓮は小さく頷いた。

「あいつと話をつけて来るから!お父さんもあんな若造の言う事に振り回されないで!しっかりして!」

「そ、そうか」

「木蓮、良いの?」

「なにが」

 双子だからこそ感じるものがある。木蓮も雅樹に好意を抱いていると睡蓮は直感した。

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